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バナハオ山(Mt. Banahaw)その5/5
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山、オール・ソウルズ・デイ、サンデー・トリビューン
そしてこのキナブハヤンでの〆はもちろんキリストの足跡の下流での沐浴です。私はもちろんこの沐浴の実行に強いこだわりを持っていたのですが、それはそれとして意外だったのはいざとなるとビバリーがこの沐浴にかなり積極的であったことです。やおら「荷物見といて」と言い、私とビエンさんを置いてスタスタと鉄管から吹き出す沐浴用の水源に入ってゆく姿に驚きました。朝には閑散としていましたが、午後になるとシーズンオフにもかかわらず家族連れなどでまぁまぁの人出となっていました。どこか体が悪いのか丸々と太った幼稚園児くらいの子供が無理やり水を浴びせかけられて大泣きしていたり、若い男女が水をかけあってふざけながら体を洗ってたりしてなかなかの盛況。
宗教的沐浴とはいっても、ちょっと水をひたひたして「ありがとうございました」というようななお上品な儀礼的なものではありません。服こそ脱がないものの皆シャンプーや石鹸を使い歯まで磨いちゃう、がっつりフルのバスタイムといった感じなのです。南国ですからどんなに服が濡れようとちょっとすればすぐに乾いてしまいますので、ビシャビシャになるのを誰一人厭いません。
沐浴の場所には水が出る鉄管が3本あるのですが、その鉄管がなかなか空きません。しかし3本の中でも一番人気薄の奥の鉄管にビバリーがグイと入り込み場所を確保して周囲の例に漏れず服を着たまま石鹸を使いガンガン体を洗い始めました。このときほどビバリーを頼もしく思ったことはありません。もちろん私もビバリーに続いて粛々と沐浴させてもらいました。
さらに驚いたのはビバリーがこの足跡のところで汲んだ水を飲め飲めと案外うるさかったことです。わざわざペットボトルに自分の分と私の分を汲んでくれ、「あとで飲んでね」といって渡してくれました。私が「(衛生的に)大丈夫なんか?」と訊いても「ホーリーだから大丈夫」とのことでした。大学で真剣に科学を学んでいて私のオカルト趣味にはイヤイヤとまではいわないまでも、学校が休みなら特にやることもないし、というくらいのおつきあいでつきあってくれてるんだと思っていましたが、案外こいつもオカルト、まんざらでもないんだなと思いましたね。
沐浴を最後にビエンさんにお礼を払ってキナブハヤンをあとにしました。ビエンさんは良い方だと思いますので当地に行かれる方はサンタ・ルチアでビエンさんを探してガイドをお願いされても良いのではないでしょうか。
ドローレスのキナブハヤン・カフェに戻って一休みして、夕方はドローレスの市内を散策しました。マーケットや教会(ドローレスの教会にもアンティン・アンティンは売ってました)に行ったりインターネットカフェに行ったりとブラブラしながら気がつけば街を外れてなぜか谷を降りて川辺に出ていました。こちらのドローレスの谷にも水汲み場があり、そのあたりはド派手にペイントされて聖母マリア像が置かれており、ここにもあらためて水場の神聖化の形を見ました。
日が暮れてきて墓地のあたりを歩くとそこには無数のロウソクが灯されてすばらしく幻想的な雰囲気になっていました。「きれいやんか」とビバリーにいうと「今日はオール・ソウルズ・デイですので」といいます。ふーんみたいな感じでいると……なんていうんですかね、ビバリーは続けて「皆昨日からお墓に泊まり込みですよ」と言いました。しかし言った瞬間、にわかに私の顔が「はぁぁぁぁ?」といった感じで曇るのを見逃さず「しもたしもたしもた!言うの忘れてましたわ〜」と大弁解。私もたしかに今日が「オール・ソウルズ・デイ」ということで前日をマークしてなかったのは悪いんですけど、皆が前日から泊まり込みでローソクを灯しているならそれはもし知ってたら真夜中に絶対に見にいきたいじゃないですか。一年に一回の機会、逃してるやんか。「オイオイオイ、そんな大事なことちゃんと言うてくれんとあかんやんか」みたいな。ビバリーもそのあたり「このおっさんそのへんうるさいからなー」という感じは察して大苦笑。私もその空気を察したビバリーを見て爆笑してしまうという。
まぁ我々の凸凹コンビぶりはさておき、このオール・ソウルズ・デイの墓場の盛況具合というのがかなりのもので、屋台はいっぱい出てますし子供らは走り回ってるし大人は宴会してるしロウソクがチラチラしててすごいきれいだしでかなりの見ものでした。フィリピンのお墓というのが結構独特で、沖縄の亀墓に近い感じもあるのかもしれません。皆お墓の上に座ってウダウダしています。そしてお金持ちのお墓はもう完全に家。それも可愛らしくてかなり立派な家です。少なくとも私が住んでるアパートの部屋より確実に大きなお墓がいっぱいあります。思わず「え!これ、墓!」と声をあげて驚いてしまいました。
翌日、朝起きるとジェイさんが声をかけてくださり、一階のカフェのフロアで「これ見てみ」と資料を見せてくれました。ひとつは『A Banahaw guru』という1985年発行の本で、発行が美術館巡りの項で私も行ったアテネオ・デ・マニラ大学の本。巻頭にかなり興味深い写真が多くあり、見ると85年からこの2014年になっても雰囲気はあまり変わってないなという感じでした。この本はいまもギリギリ手に入りそうなのでなんとか入手したいと思っているところです。そしてもうひとつが1941年4月27日の日付がある『The Sunday Tribune』誌。MAGAZINE SECTION MANILA P. I.となってますのでマニラ発行の雑誌版ということでしょうか。ちなみに真珠湾攻撃が1941年12月8日。12月26日に日本軍がマニラのオープン・シティを宣言していますから当時のフィリピンの雰囲気はいかなるものだったのか……。ともあれこの雑誌に「COLORUMS BELIEVE HOLY LAND HAS BEEN MOVED TO BANAHAW」とのタイトルで(COLORUMSというのは有色人種との意味でしょうか?)かなりのページ数を割いて写真入りでバナハオ山のホーリーウィークの様子がレポートされています。当時は演じられていたというパッション・ドラマを再現する様子や私も浸かったセント・ヤコブ洞窟で沐浴する様子、巡礼のコースなんかがけっこう細かく載っているのです!これはすごい資料。いやほんと日本軍に焼かれなくてよかったです。
しかもジェイさんのお父さんがパッションドラマを演じる俳優の一人として写真に写っているとのこと。要するにジェイさんもどこかの教団に居て、子供時代は教会で育ったのでしょう。お店に「キナブハヤン」とつけているところをみるとDiosに居たのではないでしょうか。私が巡礼に行くと言ったときにちょっと微妙な感じだったのもジェイさんご自身が当地に対して複雑な気持ちを持っていたからかもしれません。
バナハオ山旅行については以上なのですが、うかつにも帰ってきてから林武さんという方が書かれた『BANAHAW山の宇宙ステーション』という本があるのを知って慌てて買って読みました。一応SFの体裁で書かれている本なのですが、SFかどうかは別にして内容がフィリピン愛に溢れてていてすばらしいのです。
バナハオ山あたりの情景も読めばすぐに頭に浮かんで懐かしくて仕方がありません。しかしこの本によればやはりホーリーウィークの人出は相当なものらしく、巡礼というよりも聖都伝説があるバナハオ山登山に向かう人がかなりいるとのこと。行ったことがないからこれだけはなんとも言えませんが巡礼はできなかったけれどシーズンオフに行って正解だったかなとも今は思っています。といいつつ実はいく前はオール・ソウルズ・デイはオンなシーズンやと思ってたんですけどね。