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バナハオ山(Mt. Banahaw)その4/5

神格化されるリサール

 サンタ・ルチアのMisticaとキナブハヤンのDiosではもちろん教義に違いもあり考え方も違うのだとは思うのですが、どちらにも共通するのはキリスト教にフィリピンのナショナリティを融合させているところでしょう。「キリストの足跡」に関してもイェルサレムからバナハオ山への聖地移転が信じられており、それが「足跡」の根拠となり「足跡」が聖地移転の証拠となっているのです。バナハオ山の山頂には聖都があり、キリストが再臨するのはここバナハオ山であると信じられているのです。彼らは再臨するキリストを迎えるべくこの山の麓に暮らしているのでしょう。
 「三位一体」の捉え方も独特です。通常は父なる神・子たる神イエス・聖霊たる神の三位一体となると思うのですが、あの辺りの教会では聖霊のところにフィリピン独立運動の象徴である大偉人ホセ・リサールが入ります。神が「父と子(イエス)とリサール」の三位一体として在るのです。私の解釈では単純に聖霊とリサールが置き換わるのではなく、聖霊が肉体を得たものがホセ・リサールであり、矛盾なく聖霊の部分にリサールが入り込んでいるのかなとも思います。
 リサールを神として信奉する人々を称してリサリスタ(Rizalista)と呼んだりもします。
 たしかにリサールの人のレベルを超えた感をもある天才ぶり、人を癒す職業=医師でもあった彼が(日本を含む)世界を流転した経歴、そして理不尽な処刑というその一生をみればどこかその死によって人間の罪を贖ったというイエス・キリストと重なるものがあるかもしれません。そう思えばリサールの処刑シーンをパッションドラマにも比肩する強烈なイメージで捉えることもできるのではないでしょうか。

 私もキナブハヤンに行くまでは実は「キリストの足跡」ときいて、日本にもある「キリストの墓」みたいなもんなのかなと考えていました。しかしここでフィリピンの歴史におけるホセ・リサールの存在とその死に対するあまりにも大きな思いをフィリピンの人々がどう扱ってよいのかやや持て余している雰囲気を感じ、その受け入れがたいリサールの死にを理解するために置かれるのがこの「足跡」なのだと解釈しました。キリストの墓がどうこうというわけではないのですが、バナハオ山に来て周辺の雰囲気を取材してみるとやはり墓よりもこの足跡の方がシリアス度はやや高いのではないかと感じざるを得ませんでした。

 岩や洞窟、そして特に水場を神聖視し聖人の像を置いたり聖人の名前を自然物につけたりするところ、そしてなによりも山自体を神聖視するところなど、いわゆるフォーク・カトリシズムといわれる部分などは日本のアミニズムと共通するポイントがとても多いとも感じました。

 私自身フィリピンの方々が熱心に正当なカトリシズムを追い求める姿を、日常的には「そういうもの」として受け入れながら、片方でどこか違和感を持って見ていることをここで吐露せずにはおれません。
 バナハオ山山麓において、それがアミニズムであれホセ・リサールであれ、スペイン人が持ち込んだ宗教観に完全におもねるのではなく、フィリピンの方々が、神様のその成り立ちにフィリピン人から見た必然性を見出そうとする感覚にどこかホッとする思いがありました。
 日本でも大政奉還後の神仏分離令、いわゆる廃仏毀釈運動までは神仏習合として国内で仏教がアミニズムと同化されていたこと、あるいは厳しい禁教令下にも脈々と続けられた隠れキリシタンの信仰が「カクレキリシタン」として日本化されキリシタン一般とはまた異なる信仰形態として現在にも続いていることなどを省みれば、このバナハオ山周辺で行われているキリスト教のフィリピン化もまた外国文化の受容のあり方として日本人の私にとってはわかりやすいものと感じています。

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