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バナハオ山(Mt. Banahaw)その3/5

洞窟、教会、洞窟、教会

 翌日、朝から張り切ってサンタ・ルチア村に赴き、ビエンさんと合流し、名所を案内してもらいました。驚いたのはあれほど憧れたキナブハヤン村というのが案外近いことです。澤田さんの記事によればホーリーウィークにだけサンタ・ルチア村とキナブハヤン村の間をジプニーが走るとありました。記事を見ていた私は巡礼の山道を行くのではなくても両村を往来するのがけっこう大変なのかなと想像していたのです。フタを開けてみれば、たしかにジプニーを見かけることなかったような気もしますが、両村の間にはトライシクルがバンバン走っており、正味10分もあれば着きます。巡礼で行く山道は別にして道路を行けばキナブハヤンそう遠くはないのです。
 そんな具合ですから、とりあえずキナブヤハヤンまで行きます〜?といった感じでトライシクルに乗ってサクッとキナブハヤンに到着。辺りの売店でロウソクを買い、まず一番の名勝であり、聖地移転の大根拠でもある、本来であれば巡礼の最終地点であるはずのキリストの足跡が残る川の中の岩を見に行きました。ロウソクを灯して世界の平和を祈りながら、まー、なんていうか、ここは最後の最後にキリストの苦難の一部を自らも味わうような過酷な巡礼の行程の末辿り着く場所だったはずなんだけどな……とか、モヤモヤしないでもなかったのですが、四の五の言ってもはじまりません。さらにいえば結果的には朝イチでこの足跡を見に来たのは大正解でした。昼以降になると光の加減で写真を撮るのが難しくなるし、観光で来られる人がけっこう多くてゆっくり足跡を見ることも難しい感じだったのです。本来はこの足跡の水たまりのすぐ下流で沐浴をするのがよいのですが、朝イチでちょっと寒かったこともあって、沐浴は後にとっておいて近くに入り口があるキナブハヤン洞窟という洞窟に連れて行ってもらいました。ここはまずちょっと広めのホールのようになった洞窟があり、中にはお地蔵さんのように聖人たちの像が置いてあってそれぞれを拝むようになっています。ただ、ちょっと怖いのがこの洞窟の中には住んでいる人がいるのです。入った時は真っ暗なのでなにもわからないのですが、気がつくとちょっと話し声が聞こえたりとか、目が慣れてくると敷物を敷いて横になっている人が見えたりしてちょっと驚きます。
 ひとしきり見学したあと、ビエンさんに「まだ先があります」と促されいくと、洞窟の横の壁からさらに川の下流に向かって下りてゆくちょっと狭めの洞窟があり「行ってみますか」みたいな感じで皆で入っていきました。これがまた狭くって、ビエンさんは慣れているだろうし、ビバリーも若くて細いからいいんですが私は四十代も半ばで体も大きく、穴の中に入ってゆくのがそもそも大変だし、狭くて暗くて蒸し暑いところに押し込められながらこの穴をずーっと行けば向こう側に突き抜けるのか、また何かの岩か聖人かを拝んだ後引き返して来ないといけないのか、上に上がるのか、下に降りるのか?私以外の二人はタガログ語で話していることもあって事情が飲み込めず不安で仕方ないのです。
 真っ暗な中をロウソクを灯し灯し進んでいくのですが、気がつけば私の後ろからその辺をうろちょろしていた小学生ぐらいの子供が暇なのかなんなのか私の後ろからついてきています。ハァハァと肩で息をしながらそのチビに「おまえ、大丈夫か?」と尋ねると、「僕は大丈夫だけどおっちゃんこそ大丈夫か」というニュアンスがありありとした「アーユーオーケー?」が半笑いで返ってきました。
 しかも歩いているうちに洞窟の標高が下がってきて膝のちょっと上くらいまで川の水に浸かってしまいます。私はこの巡礼、山歩きのために日本でメリルというメーカーのゴアテックス生地を使った一万五千円くらいする靴を買っていったのですが、ここであえなく水没。防水自慢のゴアテックスも一旦水没するともうどうしようもありません。ただの不快な履物です。さらにいわせてもらえばこれがビブラムソールとかいう特別な靴底になっているのですが、土の上ではまだ良いものの、一旦濡れてしまうと濡れた岩の上やタイルの上なんかではツルツル滑って危ないことこの上ないのです。一言でいって最悪でしたね。100円足らずのゴム草履を履いているビエンさんやビバリーに完敗でした。「この靴めっさ高いねんで」とビエンさんにいうとせせら笑われましたよ。他の用途ではわかりませんが、沢歩きににはこのメリルというメーカーの靴は適さないと思います。ビバリーにしてもマニラから出るときにはスニーカーを履いていて、こいつもやっぱり巡礼をするのに気合い入ってるんやなと思っていたら、いざ山歩きに出かけるという段になって宿でスニーカーからゴム草履に履き替えるのでなんでそんなちぐはぐなことするのかなと思っていたのですが、彼女は川辺をウロウロするのには草履の方がいいことをよく知っていたんでしょうね。あとで皆に促されて私も35ペソ(90円くらい)のゴム草履を買い、午後は草履履きで過ごしました。
 話が逸れましたがそんな風に真っ暗な中、不安と不満を抱えつつ、水に浸かりながらボチボチ歩くと洞窟を出て無事川辺にでました。不安の募る洞窟の中から明るい外に出たときの開放感はかなりのもので、ちょっとしたイニシエーションを経た感覚は得られました。たしかにこの修行感は悪くありません。

 次は私の希望で新興宗教の教会に連れて行ってもらうことになりました。一度サンタルシアに戻って”La Suprema Iglesia de la Ciudad Mistica de Dios”という教団の教会を見にいきました。こちらは先に出た寺田さんの論文で知った教団の名前でした。あたりでもけっこうメジャーな宗教団体なのかビエンさんに訊いてみても教会の場所はすぐにわかりました。教会も古い方と新しい方があるとのことでしたが、私たちはヴィンテージ感重視で古い方の教会に行きました。静かな雰囲気の村の中でも、もう一段ひっそりとした感じの静けさに包まれて教会はありました。教会内の祭壇の感じが期待通りというか何というかけっこうカッコよくて、図のような感じで三角の目のアイコンが頂点にバーンとあって両脇には翼がある、いい方は悪いですがまさに邪教といった雰囲気。まさに「これこれ!」という心踊るデザインでした。教会の内側の壁に描かれている樹木の絵もいかにも新興宗教という感じでかなりキてる感じ。ただ、大概の教会は教会内での撮影は禁止であっても教会外から中を撮るのはOKというところが多いと思うのですが、こちらは外から中を撮るのも咎められました。教会の入り口にはこのあたりの新興宗教の特徴であるホセ・リサールに関する絵、ホセ・リサールの処刑の場面の絵が描かれていました。

 ビエンさんが「せっかくサンタ・ルチアに戻ってきたんだからもうひとつ洞窟に行ってみませんか」と案内してくださり、セント・ヤコブ洞窟という洞窟に連れて行ってくださいました。こちらの洞窟は正確には洞窟というよりも巨大な岩と岩の隙間です。私がビエンさんに続いて洞窟にトライすることになりました。ビバリーは体調の加減もあって待機して荷物を見張っていてくれました。この洞窟も例に漏れずまず入り口がむちゃむちゃ狭いです。さっきのキナブハヤン洞窟とは比較にならな狭さ。狭いというか私が入るのがやっとです。私も細い方ではありませんが私よりデブの人は入るのも無理かもしれません。入り口を入ったあとも別に空間が広がるわけではなく、狭い岩の隙間を背中を擦りながら地下の方に降りていきます。降りてゆく間、眼前に迫る岩の圧迫感がすごくてその重量が隙間にはまっているだけで重々しく伝わってきます。もしここで地震かなにかがあってこの岩が崩れてきたらすごい嫌な死に方するんだろうな……なんて思いながら十数メートルほど降りたところに4畳半ほどの部屋があり、聖母マリヤ像が置いてあります。やっと着いたと思いながらこのマリヤ像にロウソクを灯して世界の平和を祈りながら拝み、これでこの洞窟の冒険もおわりかなと思いきや、ビエンさんがさらに部屋の奥を指します。そこを見ると今立っている場所からさらに地下に向かって岩の隙間が下の方にあり、明かりで照らすとそこに水が湧いて溜まっているのです。プールにあるようなステンレスのはしごも設置されていてビエンさんがそこを降りろと促します。水深はけっこうあるようではしごを降りてアゴが水面に着くまで降りても足はつきません。顔だけ水から出した状態で「僕どないしたらええの?」とビエンさんを仰ぎ見ると「もっと潜れ」と言います。え?みたいな。これ以上潜ったら死んじゃうよね。っていうね。ビエンさんちょっと何言ってるのかな?と思って「どういうこと?」って訊きますがビエンさんはええから潜れの一点張りなんです。真っ暗な洞窟の中の水の中に潜れって、どういう意味だと思います?潜って泳いで右か左に行けばなにか空間があるのかと思ったのですがそんな感じでもないんです。はっきりいってビエンさんとは昨日出会ったばかりだし、ビエンさんには失礼なんですけどちょっと怖くなってきたんですよね。ここには守ってくれるビバリーもいないし……。殺されちゃうのかな、なんて思いながら水の中から顔だけ出した状態で「ビエンさん、意味わかりません。ギブアップ」と正直に言ったんです。するとビエンさんがちょっと残念そうな感じで「わかりました。憚りながらまず私が手本を見せます」と言ってどう潜るのかの手本を見せてくれました。それは要するにただ三回頭の先まで水に浸かるという儀式的沐浴だったんです。ビエンさんはゲストである私にフレッシュな状態の水で沐浴してほしくて自分が入らずにまず私に水に浸かるように勧めてくれていたんです。ビエンさんやっぱイイ奴!一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。ビエンさんも私も英語がイマイチで意思疎通うまくいかなかった面もありました。ともあれ気を取り直して私も三度頭の先まで水に浸かりました。一度……二度……三度……と水に浸かり、水が溜まった岩の隙間からナメクジのように這い出し、また厳しい崖のような岩の隙間をトカゲのように這い上がってフィリピンの明るい陽光の下に出たとき、確実にそれまでの自分とは違う生まれ変わった新しい自分自信を感じることができました。さきほどのキナブハヤン洞窟よりもより個人的要素の強いイニシエーションで、シチュエーションとしても特殊に感じる分、かなり心理的なインパクトがありました。この洞窟での体験がこのときの旅行のハイライトだったといってよいでしょう。

 生まれ変わった私はまたまたキナブハヤンに行き、こんどは”Samahan ng Tatlong Persona Solo Dios”という宗教団体の教会を見に行きました。こちらも寺田さんの報告を読んで前知識を仕入れておりました。この教会の場所はわかりやすく、キリストの足跡のある河原へ降りてゆく道の初っ端にあります。やはりなんともいえず落ち着いた雰囲気の場所で、中で過ごしている子供達もどこか落ち着いた雰囲気です。やはりホセ・リサールの像が立っていたり壁にキリストと机を挟んで向かい合うホセ・リサールの絵が描かれていたりします。こちらでは教団のバイス・プレジデントであるIgmidio Illustreさんにお話を伺うこともでき、教会の外から教会の内側を撮影させていただくこともできました。おじいさんとお父さんのお墓も案内していただきました。Igmidioさんらの代で3代目になるそうです。こちらの教会の中は先に行ったMisticaよりも雰囲気がやや穏便といいますか、こういってはなんですが毒々しさが抑えられており、なんというかかなりまともな印象を受けました。案内してくださったIgmidioさんも非常に物静かな感じでその人柄の感じが教会の雰囲気にも表れているように思えました。

参考映像:

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