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焼きそばなくしてかけそばなし!『ひと包みの焼きそば』を巡って

 先日、Mia music&Booksのマスターにお目にかかる機会があり、フィリピン関連の文献について語り合い、いろいろと教えていただきました。
 フィリピン関連本ではルポ、あるいは紀行ものが人気と思うのですが、もちろん正面から文化を扱ったものも多くございます。
 そんな話題の中でお互いが口にしたのがフィリピン史研究者の寺見元恵さんのお名前でした。フィリピンのことをいろいろ調べているとなにかとついて回るのが寺見先生のお名前です。私は『フィリピンの大衆文化』という本を読みましたが、この本はフィリピン人の専門家が原稿を書いたものを寺見先生が編纂と訳をされて出されている本です。この本でフィリピンでは大衆演劇やマンガが人気だと知りました。私がフィリピンに通う中ではわからなかったことでしたので意外でした。

 そのほか、寺見先生が提起をしておられるのが19世紀の終わりから第二次世界大戦終戦までその存在が続いたフィリピンの対日協力者がおかれている立場の問題です。フィリピンには、独立を目指した歴史において、フィリピンのアメリカからの独立に日本が協力すると考えて独立運動の一環として大戦時にも対日協力をした人がおり、その対日協力者とそうではないフィリピンの人の間にできた人間関係の溝がいまだにあるというお話でした。このお話は一橋大学のホームページ内で公開されている「平和と和解の研究センター」のインタビュー音声で聴きました。
 フィリピンにおいては第二次世界大戦時にマニラ市街戦だけでも10万人が亡くなったといわれ、全土ではなんと60万人弱から100万人強の犠牲者が出たといわれています(ちなみに日本統治下の朝鮮で多く見積もって50万人弱)。この死者数は当時のフィリピンの全人口の約3.5〜6.6%にも上ります。日米に加えてフィリピンの抗日ゲリラが入り乱れた戦いになり、混乱の果てに多くの市民を巻き込んだといいます。そのような戦禍の中で対日協力者というのがどのような目で見られたのか、それが相当厳しいものであることは想像に難くありません。しかし寺見先生はこのように戦後厳しい立場に追いやられた親日派フィリピン人もまた愛国者であったはずであると説き、「勝者=正義」という式の論理がフィリピン国内にも代理的に適用されフィリピン人社会が分断される不条理、さらには本来当事国たる日本においてこのような事態が広く知られてるとはいえない現実に一石を投じておられます。
 寺見先生のお話は一橋大学のウェブサイト内の音声コンテンツとして聴くことができます。
 リンク:一橋大学・平和と和解の研究センター「寺見元恵氏インタビュー」http://cspr.soc.hit-u.ac.jp/audio/20090316TeramiMotoe.mp3/view
 

 ※以下はいわゆるネタバレを含みます。
 寺見先生はフィリピンの小説の翻訳も数々されています。やはり代表的なものとしてはエドガルド・レイエスの『マニラ – 光る爪』でしょうか。こちらは日本では映画としての方が有名かもしれませんが、元々は小説作品です。小説はかなりマニラの地理を意識して書かれており、いちいち細かく地名が出てきます。マニラに行ったことがある人にとっては非常に親しみを感じる本になっています。本にはマニラの地図もついており、もぅ至れり尽くせりです。映画で見るとたしかにビジュアルは頭に入ってきますが、地理的な感覚はいまひとつ希薄になってしまうような感じがします。映画で話を知っておられる方もぜひもう一度本で読まれることをオススメします。
 内容的には主人公が貧困に喘ぎながらも恋愛あり友情ありの中で苦悩しながら突き進んでゆく……全体に泣きの効いた感じのシブい話です。フィリピン社会の人間関係の機微がよく描かれており、私には日本の社会よりももう一段の繊細さを要する人と人とのつながりのややこしさがそこには見えます。
 ただ、私はこの小説にはひとつ疑問に感じるポイントがあります。それは小説の序盤で主人公が人殺しをしたと思しき感じがありながら、その殺しがイマイチ回収されないというか昇華されないというか、人を殺したことが重大事として扱われない感じがあるのです。ここにどうしても違和感を感じます。このあたりの感じがフィリピンの感覚といわれればそうなのかもしれませんが、私には小説の上での欠点に思えるのです。

 もうひとつレイエス作品で私が読んだことがあるのは『ひと包みの焼きそば』というタイトルの短い小説です。翻訳はもちろん寺見先生です。この話は単行本にはなっておらず、『新日本文学』という雑誌の1977 4 No.356(第32巻・第4号)に収録されています。近所の図書館で『新日本文学』のバックナンバーを探してみたのですが見つからず、ちょっと苦労して古本屋さんから取り寄せて読みました。
 なぜそんなに苦労してまでこの『ひと包みの焼きそば』を読みたかったのかといいますと……タイトルを見て何か感じませんでしょうか?そう、私はこの『ひと包みの焼きそば』というタイトルを見てすぐに栗良平さんのあの『一杯のかけそば』を思い出して、非常に興味を持ったのです。「焼きそば」は70年代半ば、「かけそば」は80年代に書かれた話ということを考えれば、この「焼きそば」が「かけそば」になんらかの影響を与えた可能性があるのではないかと考えたのです。
 『一杯のかけそば』は国会にて朗読もされ映画化もされるなど一時は爆発的な影響力を発揮しました。しかしながらその後発覚する栗氏の経歴詐称や後に栗氏が寸借詐欺をはたらいたり寺の乗っ取りを計るなど「かけそば」の話が醸し出す優しい雰囲気とはかけ離れた感のある栗氏のエキセントリックな生き様もあって、当時この話に感動した人々に「感動して損した」的な後味を残したといえるのではないでしょうか。『一杯のかけそば』を巡る騒動はバブルを彩った、文壇における昭和最後のエニグマといえると思います。著者の栗良平氏自身も、いまだ記憶に新しい佐村河内氏につながるような、あるいは谷崎潤一郎の贋作原稿を書き原稿料を搾取したという倉田啓明から連なるような文化系リアル・トリックスターといえるでしょう。悪い奴が書いたイイ話。感動をテコに世間を騒がせる様はどこか痛快でもあります。

 そんな栗氏がレイエスを読んでいたのではないか?『一杯のかけそば』のルーツがフィリピンにあるのではないか?そう考えるといても立ってもおられなくなり、探して『新日本文学』の当該の号を求めました。
 果たして『ひと包みの焼きそば』はバブル期の国民的苦い思い出たる『一杯のかけそば』のエニグマを解くカギになるのでしょうか?
 結論からいえば、私は栗氏がレイエスを読んでいたのはまちがいないと思います。もちろん「焼きそば」と「かけそば」では完全に翻案され換骨奪胎され、別種の感動を誘う別作品になっていますので、いわゆるパクリうんぬんというレベルの話ではございません。しかしながら話の大きなモチーフとしてまず「経済的な困窮」があり、そして「そば」を媒介して人と人の愛情が描かれるところなど「焼きそば」の骨格は「かけそば」に大胆に引き継がれているといえるでしょう。もちろん「そば」とは細くて長くて絡み合うもの。それは人々の人生と人生が交差する様のメタファーにほかなりません。人がひとりが生きているということは、人生という一本のそばを表現していることにほかならないのです。そばの一本一本を見ると短いのもあればよじれているのもあるでしょう。でもそばはそばなのです。短くても、紆余曲折があっても人生は人生。そのそばが集まりからみあう、そして「ひと包み」あるいは「一杯」となる。「ひと包み」「一杯」とは無数の人生が交差する社会を表しているのです。栗氏はその「そば」の違いにナショナリティを重ね、南国が舞台だったそばのお話を、厳寒の北海道へと見事に場面転換させてみせたのです。
 このふたつの話を同時に読むのはかなりおもしろい読書になると思いますので、ぜひ両方の話を併せて読むことをおすすめしたいと思います。今この時代にただ単に『一杯のかけそば』を読んでもそれは白々しく感じられることだろうと思います。しかし同時に『ひと包みの焼きそば』を読むと「焼きそば」と「かけそば」がさらにもつれあって、それぞれを単独で読むのとはまた異質な読書の体験となると思います。
 もちろん「かけそば」はさておき、『ひと包みの焼きそば』単体で考えても短い中にもいくつかの魅力的な場面を含み、話としてもなかなか強烈なオチがある鮮烈な小説だと思います。率直に言って『マニラ – 光る爪』よりも話としてはこっちの方が好きです。「かけそば」のような、「前は貧乏でしたが今はぼちぼちやってます」的な貧乏をバカにしたような話でもありません。ぜひ機会があれば『ひと包みの焼きそば』を読んでみてください。
 
 寺見先生のお仕事を追ううちに思いがけず「一杯のかけそば」の秘密にグッと迫る話になってしまいました。他にも丹念に探せば日比の文化の相互作用の痕跡が見つかるかもしれません。みなさんも何かお気付きのことがあれば教えて下さいね。

 参考資料:ウィキペディア「第二次世界大戦の犠牲者」

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