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ビサヤ・レディーボーイズ

 ひとりで旅行に行くと夜は少し寂しくて、誰かにそばにいてほしいと思うこと、あると思います。なんか男性だけがゴーゴーバーに行ってどうのこうの!みたいな感じかといえば必ずしもそうではないでしょう。女性もやはり旅行先では開放的な気持ちでサムバディ・エルスと過ごしてみたくなるのではないでしょうか。ディスコに行ってナンパ待ち?
 いいと思います。いいとも!あなたが独身で、エチケットさえ守ればそれはいいんじゃないでしょうか。かくいう私もやはり旅行先の夜はなんかゴソゴソしております。

 同行する友人がいればまた話は違うのですが、前にも書いたようにひとりで旅行していてゴーゴーバーに行ってしまうと逆に孤独感が増すような気がしてやっぱりゴーゴーバーには足が向きません。でも寂しくて、酒も飲めない私は大きな音を聴きたくなってディスコに行ってしまったりするのですが、そこでナンパをしてとりあえずの愛を得るような高等技術を持っているわけでもありません。
 フィリピンにはいわゆるセミプロの方もいます。ショッピングモールを歩いていると、あるいはスターバックスなんかでお茶をしていると半ばいわゆる逆ナンのような感じで「お茶おごって」なんていって声をかけてきてくれます。お茶をご馳走すると「ホテルに行ってマッサージしてあげようか?」なんて言ってきます。個人営業の方々ですね。あるいはエルミタにはLA CAFEなんていうナンパ喫茶もあります。セミプロにはプロにもアマチュアにもない魅力があるとは思うんですけど、ちょっと怖いですよね。それこそ昏睡強盗とか。心配しちゃいます。

 で、ゴーゴーバーにも行かずディスコでナンパもできず、セミプロも怖いという私がどうゴソゴソしているのかといいますと、おカマちゃんと遊んでしまうんです。
 Date in Asiaにはレディーボーイの人も結構います。タイのレディーボーイというのはもはやブランド品で、女性とはまた違う価値を確固として確立していると思います。しかしそこはそれ、反面ちょっと出来すぎというかスレすぎというか、そんな感じもあるかと思います。対してフィリピンのおカマちゃんは程よくナローといいますか自然体といいますか、なんか優しい感じ?贔屓目かもしれませんが、そんな最強のタイ・レディーボーイ軍団に対して、我がフィリピン軍もなかなかどうして負けてないぞと私は思うのです。けっこうな田舎に行ってもおカマちゃんは普通にいます。社会の中で自然に受け入れられている感じはあります。

 特にセブやラプ=ラプではなーんかいつもおカマの方々と一緒に過ごしています。なーんかそういう流れになってしまうんですよね。流れになってしまうというか流れができてしまったというか。とにかくそんな(どんな?)流れに乗っています。私と、まぁ、いわゆる将棋をさしてくれた方々とは継続して付き合いがありますが、最初からレディーボーイとわかっていた方もいますし、中にはひと勝負してもなおレディボーイとはわからなかった人もいます。どちらにせよ皆、こういってはなんですがかなり綺麗です。最近日本でもノンホル・ノンオペながら単体AV女優としてご活躍中の大島薫さんという素晴らしい方がおられますが、フィリピンにもタイプは違えど中にはあんな感じのクオリティを持った方がおられます。

 南国の安ホテルの部屋で、ほっそりとしていてそして少し硬い彼女らの体に触れるとき、心の底から「俺ってめっちゃおしゃれやな」と思わずにはおれません。朝、まだ寝ている彼女らの、部屋に差し込む陽光に透ける背中の筋肉にそっと口づけをするとき、爽やかな罪悪感に胸が満たされるのです。ホモ行為と笑いたくば笑え。40を超えてこんな愉しみを見つけられたことは僥倖であると思っております。
 少しお金を渡しはしますし、だからって友情がないわけではないとも思うし、でもやはり恋愛とはいえないと思うし、そこにはどこか男同士の無責任な気易さもあって……男の友達とも女性の友達とも違う感覚もまた楽しいと感じています。

 もちろんいつも平穏安穏としているわけではなく、手痛い仕打ちにあったこともあります。私がシャワーを浴びているスキにとあるおカマちゃんにボケットから二万円抜かれてしまったことがあるのです。ポケットには四万円入れていたのですが、二万円やられてしまいました。セブでやられてマニラに帰って気づいて、むちゃくちゃ腹が立ちましたがここはもう何を言ってもお金は返ってこないと諦めて「アホのふり」で何も言わずやりすごしたものです。
 その彼女とはやんわりと離れていって徐々に連絡の頻度を下げていっていたのですが、先日10ヶ月ほどぶりにFacebookを通してメッセージがあり、「ショックを受けないで聞いて欲しいんだけど……」との前置きをしながら言うに「私、今、刑務所にいます」とのこと。「お腹が減ってしかたないから食べるもん持ってきて」とか、のんきなことを言うておるのです。
 こっちは日本にいるんだから食べるものを持っていけるわけないですよね!ふむ、これは私からお金をせびるための嘘を言っているのかと思い、セブ在住の共通の知人に問い合わせると「そうそう、あいつ人のお金パクってブチこまれてるのよ!ははは」ということでした。
 要するに泥棒の常習犯だったんでしょう。それはいいんですが、ここで自身がお金を取られた際に何も言わず奴を責めずグッと堪えた自分をホント褒めてやりたいと思ったんですね。リリースした魚が大きくなって帰ってきてくれたような。こういってはなんですが、ホント、おいしいネタになって帰ってきてくれたと感心しております。面会という名の取材行に今から胸を熱くしておるわけです。
 もちろん臭い飯を喰らわされている彼女に少しも同情しないわけではありませんが、そこはやはり自業自得。人様のものに手をつけた罰は受けなければなりません。彼女には「4月に行くからそれまでは絶対出てきたらあかんで!」と釘を刺しておるところですが、向こうは「12年は居てますので心配ご無用」というような具合でありました。単なる盗みで12年出てこないということはないと思うのですが……。刑務所で再会するのが楽しみでならない今日この頃であります。

 マニラではビバリーの手前もあってちょっと照れ臭くて羽を伸ばしにくいのですが、セブとラプ=ラプではのびのびと上記のような活動させていただいております。今夜もマンゴー・アベニューやタミヤ(ラプ=ラプ市の繁華街。あの模型メーカー、タミヤの工場があるからこの地名になったとか?)で彼女らがワイワイ楽しくやっているのかと想像するだけで顔がにやけてきてしまうのです。

 私は国内でも少々ではありますが女装者の方と共にメイク・ラブを嗜む嗜好はございました。しかしたまさか機会を得て国外のLGBTの方々との交流を持ったことで昨今話題がかまびすしい、同性婚について少し考えるようになりました。国際的な恋愛をした際、もしその相手が同性であれば在留資格の問題があって一緒に過ごすことが困難になる場合があります。これはたしかに愛にとっては大きな障害であると思い至りました。法律的な根拠がなければ愛し合っていても一緒にいることができません。国境をまたいだ同性愛というのは恋愛において例外的な範疇に入るのかもしれませんが、しかし愛は国境も性別も関係なく人の心の中にあるものであるとも感じます。同性愛を単に「不自然」とする向きもあるかもしれませんが、同性愛にもそれなりの歴史があり、同性愛の培地から生まれた文物や文化も多いのではないでしょうか。人間の歴史は同性愛抜きでは語れません。これを不自然と断じることがはたして適当でしょうか。
 蛇足ながら、私は複数人婚が合理的であると考えております。これは同性婚を内包するものになるかと思います。合理性はさておくとしても、思えば日本の伝統においても公家や武家など上流階級においては一夫多妻制というのがございました。人民が豊かになり中流階級の増大によって上流階級の習慣が一般化されるのはこれは自然の理です。皆が白米を食べるようになったのと同じようなことです。もちろんこの一夫多妻制というのは性差別的な性格を孕んでいますので、現代的にチューニングしてジェンダー的側面を開放すればよいのではないでしょうか。核家族の核の部分を大きくすることで互助互恵がひろがり少子化への対策にもなるような気がします。翻ってみればおおよそ35%に達する離婚率を見ても現状の婚姻のシステムにこそ無理があるように感じます。婚姻システムこそ現代において改革が求められている分野ではないでしょうか。急速な少子化の渦中にある日本が多様な婚姻の形、ひいては愛と人生の形に寛容な心の先進国になればいいなと願っております。
 少々、蛇足が過ぎ、単なるホモ話をしようと思ったのが熱くなってポリティカルな方向に向かってしまいました。また機会をみてレディーボーイの方々のおもしろエピソードなどお話ししてみたいと思います!

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