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シキホール島にて 3/3

 島について二日目、筆者は原田さんに教えていただいた魔術師と心霊スポットを巡って島を一周した。
 まずは惚れ薬を作っているというアニー・ポンセ(Annie Ponce)さんを訪ねた。他にも惚れ薬を作っている方も居られるのだが、ポンセさんの惚れ薬は良心的な価格設定であると原田さんからご案内いただいた。なんでも彼女のお父さんが大ポンセと呼ばれる大物魔術師だったとの事で、大ポンセ亡き今は娘であるアニーさんが跡を継がれている。ポンセさんが居るサン・アントニオの街は島でも内陸に位置し、こじんまりとしながらも美しい教会を擁したミスティックな雰囲気にあふれる町である。魔女の集会が夜な夜なサン・アントニオで行われるという。フィリピンでオカルトと言えばシキホール島、シキホール島でオカルトと言えばサン・アントニオと言われる場所なのだ。ポンセさんの家はサン・アントニオの少し外れた所にポツンと立っている家であった。当初は惚れ薬を求めるつもりであったのだが、訊くとマッサージもしてくれると言う。マントをかけられ薬草で燻された後に薬草を漬け込んだココナッツオイルで上半身をマッサージしてもらったのだが、これが非常に気持ち良い。力いっぱいにグイグイとマッサージしていただき、事後は非常に爽快であった。惚れ薬はもちろん、健康用に調合された薬草類、護身用のアクセサリー等の販売もされており、お土産も兼ねて数点を求めた。
 次にブラック・サタデーの時期に島中のヒーラーが一堂に会するヒーリング・フェスティバルが行われるという島の頂上部でもあるバンディラーン公園(Bandilaan National Park)に向かった。残念ながら2−3日の差でヒーリング・フェスティバルには間に合わなかったのだが、辺りは保護林になっておりジャングルを残す鬱蒼とした熱帯林で雰囲気は最高である。筆者が島の頂上部の展望台に登りマナナンガルの出現を待っていたところにマニラのマリゼルから「どこで何をしてるのか?無事か?」との電話がかかって来た。シキホール島を彷徨っている筆者を本気で心配しているのである。筆者が「島の頂上でマナナンガルを待っている」と言うと「昼間にマナナンガルは来ないよ!」と笑われた。
 マナナンガルとの出会いを諦め、来た方向にやや戻る形で「400年の木」と呼ばれるご神木であるバレテの木を目指した。バレテの木とはガジュマルのように気根が枝から垂れ下がる樹木で、沖縄でガジュマルの木にキジムナーが棲むと言われるのと似て、フィリピンではバレテの古木には妖怪が棲むと言われているのである。マーマリーンの原田さんからも、日本人旅行者の方がこの400年の木の前で写真を撮った際に左肩付近に女性らしき影のような者が写り、心霊写真が撮れたとはしゃいでいたら翌日テニス中に転倒し左肩の骨を折った……という不気味な話を伺っていた。
 実際に400年の木と言われるだけの事はあり、周囲15m以上はある巨大な木である。幹だけでこの大きさなので垂れ下がる気根の迫力もなかなかのものである。妖怪が棲むと言われるとそれもさもありなんと言う雰囲気が漂っていた。周りはちょっとした公園のようになっており、水を湛えたプールが木の根っこに触れるように据えられている。近所の子供たちがその水辺で遊んでいた。
 筆者もこの木の裏側に回り込んでバシャバシャと写真を撮っていたのだが、突然「ズズズー、ドン」と木から何かが滑り落ちるような音を聞いた。誰かが足を滑らせたのかな?と思ったのだが、辺りには誰もいない。気がつけば遊んでいた子供たちの姿も無い。木の他には滑り落ちるようなところなど何も無いのである。間違いなく木に棲むサムシング・エルスからの警告であろう。怖くなった筆者は木を離れ、前日にも訪問したボロ=ボロヒーラーであるコンシン・アチャイさんを再び訪ねるべく、逃げるようにバイクを走らせた。
 アチャイさんを再び訪れ、今度は筆者の最大の問題点である頭部をボロ=ボロで施術していただいた。頭部とは脳及び顔面の事である。私の場合、当該部位に問題は非常に多い。もちろんコップの中の水は濁り、ゴミが浮いた。やはり私の頭部は「悪いもの」だらけであった。濁った水を見てニヤリと笑ったアチャイさんに戦慄したが、同時に「これで筆者の頭部も治った」という確かな実感も得た。
 インタビューも試みた。曰くボロ=ボロを始めたのは1968年とのこと。どうして力に目覚めたのかと言う点に関しては答えが得られなかった。失礼を承知でお孫さんらしき助手を務める方にあなたが跡を継ぐのかと尋ねたが、答えは「ノー」であった。
 
 最後の目的地であるもう一人の若きボロ=ボロ・ヒーラー、ジェネロ・ソーマルポン(Jenero Somalpong)さんを訪ねるべく島の真反対へバイクを急がせた。ソーマルポンさんの家はかなり判りにくく探すのに少し苦労したが、人懐っこい島の人々に助けられなんとかたどり着くことができた。お腹と頭はアチャイさんにやってもらったのでソーマルポンさんには積年の悩みの種である肩こりを診てもらった。ボロ=ボロの道具ややり方はアチャイさんと同じだが、やはり若いだけあってブクブクの勢いが良い。そしてこちらでは水は濁らず、黒いゴミがコップの中に発生する。4度の水の交換を経て施術は終わった。年齢は現在27才で14才の頃からボロ=ボロをされているとのこと。おじいさんからボロ=ボロのやり方を教わったとのことである。

 これで予定の行程は終わり、悪路を100km以上走る強行軍にさすがに少し疲れつつ、途中ラレナ(Larena)という港に立ち寄り焼き鳥を食べた。豚の串と肝の串を一本ずつ食べたが、これが痺れる旨さであった。筆者も数々の焼き鳥を食べてきたが、このオヤジはただ者ではない腕を持っていると感じた。焼き鳥にもにもマジカルなパワーが込められているのではないかとさえ思える。そんな感慨が深い夕暮れであった。

 宿に着き、食後、原田さんに蛍狩りに誘っていただいた。以前には蛍が群れる木が並ぶ「蛍街道」とでも呼べるような蛍の群生地があったらしいのだが、道路拡張で開発され木が倒されてしまったとの事。でも必ず蛍を見る事は出来るからとも。メンバーは原田さんを含むスタッフの方3人と宿泊客のニュージーランド人の方と筆者の5人。群生とまではいかないが蛍はちらほら見ることができた。蛍を探しつつ、ニヤリと笑いながら原田さんが「サン・アントニオに行ってみましょうか?魔女が集会をやってるかもしれません」と言われ、一路夜のサン・アントニオを目指した。やや夜が早かった事もあってか魔女の集会どころか若者達が集まってワイワイと賑やかにやっているところであった。「魔女はいませんねー」なんて呑気に笑っていたのだが翌朝、同行したニュージーランド人の方のフィリピン人の奥さんから「魔女を捜しにいったのか?」とちょっとした剣幕でなぜか私が怒られてしまった。フィリピンの方にとって、冗談半分で魔女を探しに行く事は笑って済まされる話ではないのだ。
 
 島からマニラに戻り、マリゼルに散髪した姿を見せ「髪を魔女に売ったよ!」とうそぶいた。その後もマリゼルを引き連れて嬉々としながらオゾン・ディスコやバレテ・ドライブ、パコ・パークなど市内の有名心霊スポットを観光した。その挙げ句、最終的には「怖いです。あなた、私に会いに来たんじゃないね。オバケに会いにきた。あなた悪魔の友達……」と言われ、敢えなくフられてしまいました。たしかに彼女は神を畏れる敬虔なカソリックの信者ではあったが、まさかオカルトを理由にふられるとは思っていなかった。思い上がりと言われればそれまでだが、マリゼルとの関係は盤石だと思い込んでいた……。そんな思い込みにあぐらをかいてマニラで惚れ薬を使うのも失念していた。後で先述のフィリピーナの友人であるアリーサに電話をかけてもらい、私をフッた詳しい事情を訊いてもらったのだが「とにかく髪を魔女に売ったというのはシャレになってない」とのことであった。読者の方々にも注意を促したいのだが、オカルト趣味がちょっと小洒落たヒップな趣味であるなどと考えるのは危険である。特に習慣の違う海外においては全く理解されない事もある事を教訓として遺しておきたい。
 蛇足ながら、帰国後慌てて惚れ薬を使いだしたところ、非常にモテている。筆者は現在これまでの人生最高の、いわゆるモテ期を謳歌中だ。肝心のマリゼルには袖にされたが、惚れ薬の効き目には大満足しているところである。